ところで話はまた別の方向へずれるが、スタセリータの母Soigneeはウルマン氏の生産馬であり、セリで高額で落札されてウルマンの手は離れたが、現役時代はドイツで走っていた。2歳時の秋バーデンで準重賞クロニムス・レネンを圧勝したときには、この世代の牝馬はこの馬中心に回るものと思われた。しかしその後フランスのPrix des Reservoirs(Gr.II)で2着と健闘したものの、3歳になってからはこれといった結果を残せず、残念ながら早熟イメージで終わってしまった。とはいえ、現役時代に少しは期待をかけた馬の仔がこうして活躍してくれると格別嬉しいものだ。因みにSoigneeのことを合田さんは上に紹介した記事で「ソワニエ」と書いているが、現役当時ドイツの実況チャップマン氏は「ソンニェー」と叫んでいたので、私の頭にもそれでインプットされていた。最初にスタセリータの母の名を見たのが合田さんの記事だったら、Soigneeのこととは気付かなかっただろう。で、ここは自分の庭なので、強引に私の耳に残っている「ソンニェー」でカタカナ書きさせてもらう。
今やフランスにいるソンニェーは、一応ドイツ伝統のSライン継承者ではあるが、血統図をよく見ると母はフランス生産馬になっており、祖母、曾祖母も英国生まれでドイツではない。ここで思い出されたのが80年代後半に『優駿』誌上に連載された山野浩一氏の連載「血統理念のルネッサンス」だ。そのPart II「ドイツ競馬の現在」(手元にあるのがコピーで、何年何月号かメモってませんでした。すみません。)に取り上げられているシュレンダーハーン牧場の記事では、落日の時にある牧場は繁殖牝馬を売らなければ経営を維持できない状況にあり、Sラインも多く流出されてしまったことが書かれている。当時晩年を迎えていた牧場長マイヤー・ツゥ・デューテ(Meyer zu Düte)にインタビューした山野氏は、馬産において重要な三つのGを彼から教えてもらった。金(Geld)、忍耐(Geduld)、幸運(Glück)である。山野氏はその中で忍耐(Geduld)こそがドイツらしさと捉え、それまでの牧場の成功に大きな役割を果たしてきたと解釈している。だがその当時の牧場の姿は、山野氏の目には最早その忍耐すら尽き果てる間近と映ったようで、この項の最後を「シュレンダーハンは一世紀の驚異的な輝きの後に今眠りに就こうとしている。」という言葉で締めている。だが幾多の苦難を乗り越えてきたシュレンダーハーン牧場とオッペンハイム家の「忍耐」は、当時の山野氏の見立てほど柔なものではなかった。この記事から間もない88年1月に、夫の早世後30年以上牧場オーナーを務めてきたガブリエレ・フォン・オッペンハイム(Gabrielle von Oppenheim)夫人が87歳で亡くなり、娘カリン・フォン・ウルマン(Karin von Ullmann)氏がその職務を引き継いだ。そしてカリンさんがウルマン名義で持っていた黄青の勝負服を息子ゲオルク(Georg von Ullmann)が引き継ぎ、母子で牧場再興に向け尽力したのである。ソンニェーの母Suivezはこの再興の時に当たって、流出されたSラインとしてゲオルクが取り戻したのであろう。牧場に残るSuivezの牝馬にはSuiviがおり、その産駒が今ドイツダービー最有力として注目を浴びているSuestadoである。即ちSラインには今年更にまた大きなところを取れそうな馬が控えているのだ。しかもバヴァリアン・クラシックを勝ったダービー候補SaphirもSラインである。
何だかえらくシュレンダーハーンに肩入れした記事ばかり書いてしまっているが、普段ドイツ競馬を見ているときは特別シュレンダーハーン贔屓というわけではないんだよ(はてなのアイコンはヘニーホフ牧場だし・笑)。ただ一つの一族だけでこれだけ長い歴史と伝統を担ってきた牧場は他にないわけで、歴史的な話になると史料的にもシュレンダーハーンに優るものはなく仕方がない。また今年はSラインばかりでなく、英国二冠馬となったシーザスターズ(Sea the Stars)もシュレンダーハーン伝統のAラインの血を引いており、また先だってオーナーのカリンさんが亡くなられたということもあって、どうしてもこの牧場に関心が引き寄せられてしまうのである。資料を引っ張り出して机の脇に積んだりしているので、しばらく折に触れてシュレンダーハーンの話になりそうだ。
それでもドイツの3歳戦には簡単に触れときます。独1000ギニーは英1000ギニー6着のPenny's Giftにドイツ勢完敗。2着のFabianaは人気薄が直線一気で入り込んだものであり、このレースだけでは実力評価はできない。ドイツ馬では実力上位と見込まれていたNorderneyが不利なく力を出していたにも拘らずPenny's?GiftやフランスのEntre Deux Eauxに全く敵わず敗れてしまい、少なくとも今年のマイル3歳牝馬は高いレベルを望めそうもないということが判明してしまった。
尚、ついさっき行われたドレスデンのダービートライアル準重賞フライベルガー・プレミアム大賞(3歳ドレスデン賞)は2頭出走取り消しの4頭立てとなり、デビュー2連勝中のNavajo Dancerにとっての出来レースになるかと思ったら、Navajo Dancerは仕掛けどころで全く伸びず、ダービー登録のないPalermoが力強く逃げ切ってしまった。ドレスデンでは1年で唯一注目が集まるレースなのに、95年のAll My Dreams以来ダービー馬が出てないばかりか、このままでは益々有力候補が集まらなくなってしまう。旧東独地域では貴重なレースなだけにこの傾向はとても残念。
だが一叩きされたシュヴァルツゴルトは、誰もが驚き、あるいは最早呆れて笑うしかないほどの強さで快進撃を開始した。まずはヘンケルで後塵を拝したネーヴァ(Newa)をキッサソニー・レネンで6馬身差に叩き落し、続くディアナ賞は着差を測ることすら許さない大差で圧勝。そして迎えたダービー。牡馬前哨戦であるウニオンもシュレンダーハーンのアドアストラ(Ad Astra)が制しており、上がり馬サムライ(Samurai)と合わせた3頭出しで、どう転んでも優勝カップはオーナー、オッペンハイム(Waldemar von Oppenheim)の手に渡ることになっていた。そして予想違いはアドアストラが4着になったことくらいで、サムライは3着エッレリヒ(Ellerich)に5馬身差の2着を確保する。而してシュヴァルツゴルトは、13頭立ての外11頭目からスタートし、抑え気味ながらも内へと切り込みながら先頭に立つ。鞍上シュトライト(G.Streit)は持ったままであったにも拘らず、スタンド前を通過し1コーナーに差し掛かったときには後続との差が開き始め、向正面で6馬身、10馬身、そして15馬身と差が見る見る開き、最終コーナーでは既に誰もがシュヴァルツゴルトの勝利を確信して祝福の歓声をあげた。シュトライトは早々と手綱を降ろし、このとんでもない牝馬の背にただ揺られるがままに揺られ、悠々とゴール。その瞬間2着のサムライは10馬身後ろで、3着以下相手に圧勝劇を演じていたのである。サムライはこの後セントレジャーに勝ち、古馬になっても重賞をいくつも勝っており、他の年だったら十分世代トップになれた馬だ。そこからもシュヴァルツゴルトのとんでもない強さが分かる。
Deutsche Flach- und Hürdernis- Renn-Chronik, Jahres-Ausgabe 1939
"Schlenderhan, Eine züchterische Bestandsaufnahme am Ende des Jubiläumsjahres" in: Album des Deutschen Rennsports 1969
Beckmann, Martin: "Stuyvesant, Der dritte Derby-Sieger der Familie der Schwarze Kutte - der 16. für Schlenderhan" in: Vollblut Zucht und Rennen, Nr.68 (1976)
Hagemann, Eberhard: Aufbau und Leistung der Schlenderhaner Vollblutzucht (1939)
Rudolfi, Harald: Von Abendfrieden zu Baarim (1963)
Eversfield, Martin E.: Die Klassischen Sieger 1946-1975, Vollblutzucht und Rennen in drei Jahrzehnten (1975)
さて前日同様、ゴール前で写真判定にもつれ込む接戦を演じたのは、私が一昨年まで目の前で見ていた馬たちだった。中団から馬場の外目を抜けたAspectus、後方から内を突き前へ躍り出るKönig Turf。逃げるEarl of Fireを両脇から同時に抜き去り、かつて鎬を削ったライバル同士、栗毛と黒鹿毛が馬体を合わせ、古豪の意地がぶつかり合う。鳥肌ものだ。そしてAspectusが僅かに短頭差König Turfを抑え、2007年7月大ヘッセン・マイレ(Gr.III)以来の久々の重賞制覇を果たした。