2011年10月09日

Danedream、凱旋門賞を勝利するまで


 2010年5月、バーデンバーデンの南西にある小さな町アーヘルンで1本の電話が鳴った。電話を受けたのはこの町で家具センター"Möbel RIVO"を営むヘルムート・フォルツ(Helmut Volz)、かけたのはディルク・アイゼレ(Dirk Eisele)、サラブレッド売買エージェントBBA Germanyの代表だ。アイゼレはその日、バーデン競馬場で行われていた春季ブリーズアップ・オークションにおり、トレーニング・セールに出されていた1頭の2歳牝馬に目を付けたのである。

 「いい馬が1頭いるんですよ。今日のオークションで一番興味がある馬なんです。」

 フォルツは話を聞いて、アイゼレに落札へのゴーサインを出した。ブリュンマーホフ牧場(Gestüt Brümmerhof)から出品された父Lomitas、母Danedrop(母父Danehill)の仔Danedreamは、こうしてアイゼレによって9000ユーロで落札され、フォルツが所有することになったのである。

 Danedreamはこの時点まで、既に生産牧場であるブリュンマーホフの所有馬としてシールゲン厩舎に預けられ、調教されていた。しかし目立たない馬だったらしく、牧場主のグレゴール・バウム(Gregor Baum)はとっとと売り払うことを決めたようである。主取りのための落札下限額も提示していなかったそうだ。

 だがセリ会場でのDanedreamは一味違ったらしい。この馬にいい気配を感じ取ったのはアイゼレだけではなかった。トレーニング・セールでこの馬の背に跨っていたシールゲン厩舎2番手騎手のミナリクも、この時好感触を感じ取っていて、彼の故郷チェコから買い付けに来ていた客に売り込んでいたというのだ。たった9000ユーロである。ミナリクがもう少し熱心に故郷からの客を焚きつけていたら、もしかしたらDanedreamはチェコでデビューすることになり、運命は大きく変わっていたかもしれない。

 結果としてフォルツの手に渡ったDanedreamは、そのままシールゲン厩舎に残り、早くも6月20日、ウィッサンブール競馬場でデビューした。

 ウィッサンブール(Wissembourg)??? どこよそれ?

 ということで調べてみると、アルザス地方にある小さな町の競馬場で、グーグルマップで見ると如何にもな田舎競馬場であった。しかしそれでもドイツの未勝利戦が賞金総額5000ユーロ程度なのに対し、この時のレースは総額12000ユーロである。2着に2馬身半差のデビュー勝利を飾ったDanedreamは、早速1着賞金6000ユーロを獲得した。
*のんびりブログ記事書いてる間にどっかから映像を見つけてYoutubeにアップした人がいたよw →Danedreamデビュー戦(直線のみ無音)

 因みに7頭立てだったこのレースの結果をよく見ると、1〜3着をドイツ馬が独占しており、最下位もドイツ馬である。アルザス地方はドイツからは国境を跨いですぐだし、賞金稼ぎにはおいしいことこの上ない。とはいえ、普段注目されるような馬たちは大抵国内の主要競馬場か、国外でも著名な競馬場ででデビューしているので、6月という早い時期にこういうところでフランスの低級馬相手に賞金をかっさらっておこうというのは、それほど長い目で見られていないタイプの馬が多いと思われる。そういう意味でDanedreamも、落札額同様にこの段階では厩舎内で決して高い評価の馬ではなかっただろう。フォルツ自身もDanedreamを購入当初、地元バーデン地方から近く、賞金はドイツよりも高いこの辺りの競馬場で2、3勝あげる程度に走ってくれればよいと考えていたということだ。

 それでもデビュー戦で勝利をあげたことで、2戦目はケルンのリステッド競走オッペンハイム・レネンに挑戦する。そして2歳ではトップレートをつけることになるAcadiusの3着と好走した。この辺でフォルツも、地元近くで卒なく走ってもらって楽しもうという期待度ではなくなってきたのだろう。続けて再びフランスへ行き、ドーヴィルのリステッド競走Criterium du Fonds Europeen de l'Elevageに出走させた。だが1着入線するも3着に降着となってしまう。もっともここで陣営に更なる色気が出た。思い切って凱旋門賞当日の2歳牝馬G1、マルセル・ブーサック賞に挑戦したのである。しかしさすがにこの時のDanedreamには、このクラスはあまりに敷居が高すぎたようで、見せ場なく6着に終わる。その後はドイツ国内戦に戻り、2歳女王決定戦ヴィンターケーニギン賞(G3)で、3番人気で3着と順当な走りを見せて、Danedreamは2歳シーズンを終えたのである。

 こうして2歳戦を振り返ると、デビュー当初から徐々に期待値を増す好走をしたと言えるだろう。とはいえ、大物感を漂わせるほどでもなかった。正直なところ、この段階で3歳での成長ぶりを見越していた者は、誰一人としていなかったはずだ。ヘルムートの息子ハイコー・フォルツ(Heiko Volz)曰く、冬の間は誰もDanedreamの話題などしていなかったという。因みに私も、何となく名前の字面だけ頭の隅に残った程度で、翌春イタリア・ダービーに出ていたときは、改めて調べ直す必要があるほど忘れ去っていた。

 明け3歳。初戦をミラノのリステッドで4着、続いて果敢に牡馬と混合のイタリア・ダービーに挑戦して3着と健闘し、ダントツの1番人気に押されたイタリア・オークスでは、期待以上の圧勝劇を演じた。

 > 5月7日 イタリア・ダービー(伊G2) 3着
 > 5月29日 イタリア・オークス(G2) 1着

 このイタリアキャンペーン、私はシールゲン厩舎がヴィンターケーニギン賞2着のAigrette Garzetteを期待1番手牝馬と見做していると見ていたため、国内本流はこちらを中心とし、Danedreamは国外ルートからディアナ賞(独オークス)を目指すと考えていた。だが実は、Danedreamはディアナの登録がなかったというのである。6月26日にサンクルーのマルレ賞(仏G2, 2400m)もそのステップだと思っていて、ここで5着となり壁に当たっても、まあ国内で仕切り直せるだろうくらいに考えていた。それゆえディアナの2週間前に古馬混合のベルリン大賞(G1)に出てきたときは正直驚いた。しかも相手はドイツの2強と呼べる存在のScaloとNight Magicである。軽ハンデの有利があるとはいえ、随分とハードルを上げた挑戦をするものだとレース前は誰もが軽視し、人気も11頭立ての8番目であった。だがこの見事な勝ちっぷりである。

 > 7月24日 ベルリン大賞(G1) 1着

 この勝利の直後シールゲンは「これはブリーダーズカップ(フィリーズ&メアターフ)に向けてよい試走になった。多分アメリカへ向かう前に1レース使う。」とコメントしていた。しかしステップとして挟んだバーデン大賞(G1)がまたしても鮮やかな勝利。

 > 9月4日 バーデン大賞(G1) 1着

 BC F&MTを想定し始めたのは、多分イタリア・オークスを勝ってからであろう。春初戦の段階では、間違いなく誰一人、そこまでのチャレンジを考えていなかったはずである。だがこのバーデン大賞の勝利で、BC F&MTどころか凱旋門賞への挑戦プランが浮上してきたわけだ。それでも馬主と厩舎はギリギリまで慎重だった。やはり凱旋門賞は別格である。BCでもF&MTは牝馬限定戦、確実に実利を狙うなら、ここで無理せず予定通り直行したほうがいいというのが理性的判断である。凱旋門賞には登録もしていなかったし、追加登録には10万ユーロもかかる。だが勝利の度に「この馬は自分たちが思っている以上に、レースで強くなっていく」と鞍上のシュタルケがコメントしているとおり、どこまで伸びるか分からない未知の可能性を誰もが感じていた。陣営は熟慮の末、夢にかける方を選んだわけだ。凱旋門賞直前に照哉氏が馬主権利を半分買い取ったことは、恐らくこの決断に決定的影響を与えてはいない。照哉氏の意向が働くくらいなら、全権売っていただろうからだ。明らかに繁殖として手に入れたい照哉氏へ半分というところに、現役中は口出しさせないというフォルツの意思が透けて見えるのである。

 そして凱旋門賞。Danedreamはドイツ競馬界としては1975年Star Appeal以来2頭目という快挙を成し遂げたのである。

 > 10月2日 凱旋門賞(G1) 1着

 このレースについてはもはや私がコメントする必要はあるまい。2:24.49というレースレコードでの圧勝。ドイツ競馬ヲタとしてはまさに感無量である。

 年内はもう1戦使うということだ。一応当初予定通りBC F&MTを狙うか、ジャパンカップに来るか、どちらからしい。凱旋門賞と比較すればどちらも蛇足であろうが、ここで牝馬限定戦に行くより、JCに来てくれたら嬉しいことこの上ない。凱旋門賞後は何事もなかったようにペロッと飼葉を食べ、深夜3時過ぎにケルンの厩舎に戻ったあとも、実にリラックスしていたということだ。遠征はまったく苦にしないらしく、馬運車を見ると耳をピクッと前へ向け、喜んで乗り込むらしい。ミラノへの遠征のときも、10時間の移動中、平気で飯を食い、水をごくごく飲んでたそうである。

 また来年も現役続行予定である。照哉氏に決定権があるなら、とっとと引退させて日本へ連れてくるだろう。しかしそれよりは、牝馬として凱旋門賞二連覇を目指してほしいものだ。

 正直なところ、凱旋門賞後どんどんネタが出てきて、書きたいことは他にもいろいろあるのだけど、もうすでにまとまりない状態まできてしまったので、この辺でやめておく。ただ血統話はドイツ牝系ではないので、私が書くことはないので悪しからず。

【追記】
 kalikolaさんが20歳の厩務員チュンティアちゃんについて書いてます。自分も元記事読んだときこれについても書きたかったのだけど、記事を独立して書けるほど印象的なインタビューだったので、kalikolaさんが取り上げてくれてありがたいです。
 kolikolaのblog「凱旋門賞馬デインドリームについて」
posted by 芝周志 at 01:23| Comment(2) | TrackBack(0) | ドイツ競馬
この記事へのコメント
乙です。皆が皆口を揃えて、unscheinbar、unauffaelligなど、控え目で愛らしい牝馬ということですね。こういう形でデインドリームの今までの軌跡をまとめてもらってとてもありがたいです。明日にでも私のブログでもちょこっと書いてみます。今でもYoutubeで凱旋門賞を時々見てはジーンとしていますよ。
Posted by w.k. at 2011年10月09日 02:42
>w.k.さん
どもです。もっとスマートにまとめられたらよかったんですけどねえ…。
調教駆けもあまりするほうじゃないらしいですし、レースとのギャップが関係者を驚かせてる感じがありますね。

そちらのブログにもリンク貼らせてもらいます。
Posted by 芝周志 at 2011年10月09日 09:51
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