2011年07月07日

第二の男ヨゼフ・ボイコに栄光輝く― 第142回ドイツ・ダービー優勝Waldpark

 3日(日)にハンブルクで行われた第142回ドイツ・ダービーは、ヴェーラー厩舎2頭出しの1頭Waldparkが後方から馬群を見事に差し切って勝利。4戦4勝で無敗のダービー馬誕生だ。2着にはEarl of Tinsdalが先行して粘り、5頭出しのシュレンダーハーン牧場優勢と言われた戦前の予想を覆し、まさかのヴェーラー厩舎ワンツーフィニッシュであった。だが、厩舎主戦のペトロサはEarl of Tinsdalの方に乗っており、Waldparkを勝利に導いたのは厩舎二番手騎手のヨゼフ・ボイコだ。

 今年のダービーは主戦騎手の騎乗馬選択がレース前から大きな話題となっていた。取り分けシュレンダーハーン牧場専属ヒルシュベルガー厩舎の主戦騎手アドリー・デフリースがどの馬を選ぶのかが、前哨戦が終わった後の主要なニュースとなっていた。そしてウニオン勝馬でレーティング1位のArrigoではなく、バヴァリアン・クラシックを勝ったMawingoを選んだことはかなりの驚きを持って報じられた。血統的な距離適正は明らかにArrigoの方がダービーに合っていたためであるが、デフリースは調教での出来でMawingoを選んだとのことである。彼は2年前にも同様にレーティング下位のSuestadoを選んで、勝利はスウェーデンから招聘したヨハンソン騎乗のWiener Walzerに譲ってしまっている。もっとも今回はMawingoがシュレンダーハーン勢最先着の4着となり、デフリースの判断は間違ってなかったことになったが、しかし上位独占が予想された中でのこの結果は、彼にとっても然程の慰めにはならないだろう。

 しかしデフリースの選択ばかり注目されていた一方で、ヴェーラー厩舎のペトロサがEarl of Tinsdalを選んだこともちょっとした驚きではあった。もっともWaldparkが3連勝中とはいえまだ準重賞勝ちまでだったのに対し、Earl of Tinsdalは既にフランクフルトの3歳春季賞(G3)を勝っている。紙面上の実績はEarl of Tinsdalの方が上であるから、距離不安があったとしても、ペトロサはこちらを選んで不自然ではない。だが彼のこの選択に、二番手騎手のボイコは、本当にそっちでいいのかと、驚きをもってペドロサに訊いてしまったそうだ。それほどWaldparkの出来と成長力がよかったのであろう。ただWaldparkの厩務員はボイコのパートナーだということで、もしかしたらペトロサの方にちょっとした義理が働いてたかもしれない。そんな想像は日本人的かもしれないけど(笑)

 ヨーロッパでは、厩舎や馬主と騎手が専属契約していることが多い。そして大手厩舎になると、主戦騎手の他に二番手、三番手扱いとなる騎手も抱えている。1つのレースに2頭出しする場合は、有力な馬のほうに主戦騎手が乗り、二番手騎手はペースメーカー役に任ぜられることがしばしばだ。また多場開催のときは、よりチャンスが大きい、または有望な馬がいる競馬場に主戦騎手が行き、二番手はそうでないほうに行かされる。それゆえ二番手騎手はなかなかビッグレースでチャンスを掴む機会がない。ただ裏開催に行った時などは、トップジョッキーが表開催に集中してるので、結構荒稼ぎしたりはしているし、専属騎手を持たない中小厩舎に有力馬がいて、一方で自厩舎がそれほど期待が高くない馬を出走させるようなときは、主戦は人気薄の自厩舎の馬に乗らなければならないのに対し、余っている二番手騎手が中小厩舎の有力馬の方に乗って勝利するなんてこともよくある。シールゲン厩舎の二番手ミナリクなんかは、そのパターンでG1を何度か勝っている。

 ダービーでは上に触れたとおり、2年前のデフリースが選択をミスった最近の例だが、勝ったヨハンソンは厩舎二番手ではなく、国外からピンポイントで招聘したパターンだ。この手のケースは実は結構ある。だが厩舎二番手騎手がダービーに勝つというのは、それほど多くはない。しかし日本で最も知られているドイツ馬Landoとその父Acatenangoは、実は共にイェンチヒ厩舎の二番手ティリツキが手綱を握っていた。

 このような数少ないチャンスを今年手にし、それを見事ものにしたのがボイコである。1971年3月27日生まれの彼は既に40歳だ(これを確認したときはちょっと驚いた。一応ボイコのことは既に10年近く見てきてるのだから当然あり得る年齢ではあるのだが、今年勝春が40だと気づいたときと同じくらい衝撃だったw)。下積みと裏方に生きてきた男にやっとスポットライトが当たったのである。

 ヨゼフ・ボイコはスロヴァキアの首都ブラティスラヴァ出身のスロヴァキア人である。馬とはあまり縁がなかった家庭の生まれらしいが、1986年、15歳のときにチェコで騎手デビューし、初騎乗初勝利をあげている。東欧の社会主義体制が崩れた翌年1990年にウィーンへ移り、1992年にドイツのホッペガルテンにやってくる。しかし当初は厩務員扱いだったらしい。その後一時ローカル競馬場のゴータに移り、1996年8月、ブレーメンのファネルサ厩舎に雇われることになる。

 ファネルサ厩舎は決して大きな厩舎ではない。重賞クラスに馬を出すこともなく、ボイコも厩務員、攻馬手、騎手を全てこなす厩舎スタッフの一員だ。だがここでボイコは一歩一歩実績を積み重ねていく。ブレーメンという場所もよかったのであろう。現在ラーフェンスベルク牧場の調教施設に厩舎を構えるヴェーラーは、当時ブレーメンにいた。国内リーディングを競う大厩舎が隣にあるのである。そばで大きな刺激を受け、自厩舎の馬の調教をつけ終わった後には、手伝いに行っていたかもしれない。

 90年代後半にボイコは徐々に勝ち星を増やし、2000年には84勝をあげ遂にリーディングベストテン(8位)に食い込んだ。ここで注目すべきは騎乗数だ。1998年368鞍(29勝28位)、1999年408鞍(36勝21位)、2000年747鞍(84勝8位)で飛躍的にその数を伸ばしている。如何に彼が自厩舎以外からの信頼を獲得していったかが分かるだろう。そして翌2001年には778鞍騎乗し86勝でリーディング2位となる。またダービー初騎乗を果たし、18頭立て16番人気のNear Honorで3着に突っ込み、大波乱に一役買っている。

 これだけ活躍すれば更に大手の厩舎から声はかかる。だがボイコはそれらを断った。苦しかった時代に最も支えてくれたのがファネルサ調教師だったからだ。今どきなかなかない義理堅さである。それゆえその後も主に裏開催を中心として、他の主要な騎手が年間500〜600鞍乗る傍ら、毎年700鞍以上、競馬界自体のジリ貧度が高まってレース開催数が減り始めても年間600鞍以上乗り、中小厩舎の馬たちの手綱を握ったのである。(余談だが、ドイツで本格的に競馬を撮り始めた2002年に結構騎手の写真も撮っていたのだが、ボイコはなかなかケルンやデュッセルドルフに現れてくれなかったため、リーディング上位の騎手の中で唯一いつまでも撮れなかったことを覚えている。)

 ファネルサ厩舎に所属して10年が経った2006年暮れ、ボイコに大きな転機が訪れた。ヴェーラーから二番手騎手としてオファーが来たのである。ヴェーラーは前年にブレーメンからラーフェンスベルク牧場の調教場に移っており、このオファーを受けることはブレーメンから離れることを意味する。この時ボイコがどれほど逡巡したかについては分からない。だがこのオファーを結果として受けたのは、既に十分身近によく知っていたヴェーラーだったからであろう。またファネルサも、きっとボイコの背中を押したに違いない。この年の12月30日、ドルトムント最終開催日にファネルサは、全9レースのうち6レースに馬を出走させた。決して大きくない厩舎で1日6頭はなかなかない。ボイコはもちろんその全ての手綱を握った。3勝、2着1回、3着1回、4着1回。ファネルサは巣立つ弟子の花道に目一杯馬を仕上げ、ボイコは長年世話になった師匠の最後の恩に報いたのである。

 大手厩舎に移ったとはいえども、ボイコは二番手騎手としての契約である。ヴェーラー厩舎主戦騎手は3歳年下のエドゥアルド・ペトロサだ。1995年にドイツへやってきたこのパナマ人青年も、しばらく二番手騎手として下積みを重ね、スボリッチが抜けた2002年から厩舎一番手となったのである。エディは着実に腕を上げ、2003年3月のドバイ・デューティーフリーをPaoliniで同着優勝したことで、ドイツ国内での彼の評価は大きく跳ね上がった。それでも下積み時代と変わらず騎乗数も多く、4年連続リーディング1位という実績も、そういった地道な仕事ぶりに基づいている。

 そのようなペトロサとの関係で、二番手のボイコはヴェーラー厩舎に移る以前と変わらず、裏開催に出向く機会が多い。しかし重賞や準重賞が2箇所で開催されているようなときは、ボイコも厩舎の有力馬に乗り、以前に比べて騎乗馬の質が上がったのは確実だ。とはいえ、ボイコが手綱を取って準重賞勝ちを収めたような馬が、次に重賞へ出る際ペトロサが騎乗するということもしばしばである。二番手騎手ボイコが日陰の存在である状況は、基本的には変わらなかった。

 しかし今回遂に、ペトロサがEarl of Tinsdalを選んだ結果とはいえ、Waldparkという無敗の厩舎有力馬に騎乗し、ダービーという競馬界最大の栄誉をボイコは獲得したのである。彼が地道に重ねてきた苦労を、ドイツの競馬関係者やファンは皆知っている。スタンド前へ戻ってきたボイコを、観客はみな大きな拍手と声援で迎えた。実況のチャップマンも彼を称えて大いに盛り上げる。はっきりは覚えてないがこんな調子で。

「調教のときも決して遅刻はしない、どの競馬場でも騎乗する、いつも勤勉な男、ヨゼフ・ボイコォー!」

 これほど清々しい、誰もが幸せに感じるような凱旋シーンもなかなかない。表彰式では2位になった関係者も壇上に上がるのだが、ペトロサは名前を呼ばれたとき、心の中に多少は複雑な思いがあったかもしれない。だがそんな思いを彼は悪ふざけに変えて「ブ〜」と言いながら壇上に駆け上がり、そしてすぐに笑顔を見せて、友達同士が喜びを分かち合うようにボイコと強く抱き合った。「これでよかったんだよ。他の厩舎の馬の後ろで2着になるより、うちの厩舎の馬の後ろでよかった。」とペトロサはコメントしている。

 Waldparkはバーデン大賞に登録しており、恐らくそこではボイコではなく、ペトロサが手綱を握ることになるであろう。そこは二番手契約である者の宿命である。しかし今回のダービー勝利をきっかけに、他厩舎からの有力馬騎乗の依頼は増えるかもしれない。既に40歳であるが、まだ40歳でもある。第二の男ボイコが脚光を浴びる機会が今後増えることを期待しつつ、私も遠く日本から心を込めて言いたい。

 おめでとう!ヨゼフ・ボイコ!
posted by 芝周志 at 03:02| Comment(2) | TrackBack(0) | ドイツ競馬
この記事へのコメント
エディが譲った原因はそれクサイですね。彼はうちでよく見ました。ドサ廻りやってました。ズボリー抜けた後に、素直に一番手に昇格したのは、結構驚き、というか、ヴェ―ラークラスなら、他から引き抜けそうだもんね。ひょっとして、いいヤツなのか?あの狸オヤジは
Posted by wilde katze at 2011年07月07日 03:16
katzeさん、うちの庭ではおひさw

やっぱりエディがWardpark選ばなかったのって、その理由ですかねえ。まあその辺の腹の内は出てくることはないのでしょうけど、ちょっと想像したみたくはなりますよねw
ヴェーラー、今回ボイコとエディに注目してたら、なんかスゴくいい奴に見えてきました。Scaloに外国騎手が乗ってるのも、馬主の意向でしょうからね。案外浪花節厩舎なのかあそこ…
Posted by 芝周志 at 2011年07月07日 08:57
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