2002年生まれで2004〜05年に現役として活躍したAnna Mondaは、私自身も生でしっかり見てきた馬だ。2歳10月のデビュー戦では逃げてゴール直前に1番人気の牡馬Le Kingに交わされて2着であったが、3着がその11馬身後ろなのだから、この時点で抜けた牝馬であることは予想できる。そして3歳明け初戦の4月1200m未勝利戦ではスピードの違いを見せつけて2着Molly Artに7馬身差の圧勝で初勝利を得た。
Monsun産駒というと、基本的にスタミナがあって重厚なチャンピオンディスタンスホースというイメージが強いが、このAnna Mondaの走りにはそういった重戦車のようなイメージはなく、スプリンターだった母父Salseの影響力が強いのかスピード能力の違いで押し切るタイプだ。それでも飛ばすだけ飛ばすというのではなく、テンの速さで先頭に立つと、中盤で淀みないペースながらもうまく息を入れ、直線でもう一度突き放すといった感じなので、その辺にMonsunのスタミナが活きているのだろう。

これだけ強いレースをすれば国内に留まる理由もなく、まずはフランスのG2サンドリンガム賞に挑戦する。しかしここでも逃げたものの、残り200mで完全に脚が上がり、一気に馬群に飲み込まれて7着。続いてグッドウッドのG3オークツリーSに出走したが、ここも7着に敗れた。印象としては早熟で、早々に能力を使い果たしたかに思われたが、一息入れてドイツ国内のオイローパ・マイレ(G2)に出走すると、再び1000ギニーを彷彿とさせる逃走劇を演じ、見事な復活を見せる。もっともこのレースではドイツ・マイル界を背負ってきた1頭Eagle Riseが直線で骨折転倒という悲しい出来事があり、そのライバルであったMartilloも友を思ってかその直後に脚が止まってしまい、勝ったAnna Mondaには申し訳ないが、その場にいた私には彼女のことを称える余裕がなかったことを覚えている。
ところで私は個人的にMartilloをデビューから応援していたこともあり、彼がミラノのマイルG1、ヴィットーリオ・ディ・カプア賞に出ることになったので、私もミラノへ向かうことにした。尚、まったくの余談になるが、私は当日朝7:05発の飛行機に乗る予定だったのに、目が覚めたのが6:20で、青ざめながら荷物を掴んで家を飛び出し、タクシーを捕まえ、6:30に空港に着いてチェックイン、なんとか飛行機に乗り込んだのである。家から空港までバスで15分という立地条件だからこそ出来たことではあるが、フライト時間の45分前に起床して間に合うもんなんだなと、我ながらえらく感心したものだ。
話を戻そう。オイローパ・マイレを快勝したAnna Mondaもミラノに向かうことになった。ただこの間に社台の照哉さんに買われ、主戦のムンドリーは黒黄のストライプ勝負服でレースに臨んだ。Anna Mondaはこれまで同様に先頭に立つと800mある長い直線の途中まで淡々とペースを刻み、残り300mを切ったあたりから仕掛け、内から追い込みをかけるMartilloを1馬身3/4差に押さえこんでG1のタイトルを手に入れたのである。個人的にはMartilloが敗れて悔しかったので、なんとなくAnna Mondaに対しては素直に賞賛できる記憶を持っていないのだが、しかし勝った内容はどれも文句をつけようがなく、彼女のスピードと最後まで潰れないスタミナは高く評価されて然るべきものだろう。
以上がAnna Mondaの現役時代であるが、彼女の牝系ラインについても少し眺めてみよう。
上でも貼ったが、もう一度Pedigreequery.comの5代血統表をば。
Anna Monda
母Anna of Kiev、祖母Anna Matrushkaは英国産となっているが、そのまた前に遡るとしばらくドイツ産が続く。この牝系はレットゲン牧場に培われてきたAラインで、ドイツでの始祖はイタリアから輸入されたAdria。導入時の逸話でもないかと手元の資料をガサゴソ探してみたが、残念ながらこの馬に触れた記事は見つからなかった。6歳上の全姉Alenaが伊オークスを、2つ下の半妹Archidamiaが伊1000ギニーを制していることから、イタリアの良血ということになるのだろう。1930年代はフェデリコ・テシオ全盛期でもあり、イタリアから新たな血を導入するのは珍しいことではない。
だがこのAdriaから何代かは目立った活躍馬もなく、この血統を大きく発展させたのは、Anna Mondaから4代母Antwerpenとその娘Anna Paolaになる。Antwerpenの子では牡馬のAsprosとAnna Paolaが2歳チャンピオン戦ヴィンターファヴォリート賞を兄妹制覇しており、Asprosは3歳時に独2000ギニーを2着、Anna Paolaはディアナ賞(独オークス)を制する活躍をしている。Anna Paolaの全妹A Prioriの孫にはE.P.Taylor S(加G1)を勝ったFräuleinがおり、また父にStar Appealを持つAnständigeの孫にはヴィンターファヴォリート賞とウニオン・レネン、古馬になって複数のマイル重賞を勝ったAspectusがいるなど、Antwerpenの血はAnna Paola以外を通じても現在まで豊かな広がりを持って受け継がれている。
しかし最も優れた後継牝馬は、やはりAnna Paolaであろう。自身の直子こそ目立った活躍馬はいないが、孫の代では日本人にも馴染みのある名前が現れる。96年に来日して毎日王冠を制し、その2年後にも鳴尾記念で3着になったアヌスミラビリス(Annus Mirabilis)だ。また先ごろアメリカのフラワーボール国際Sでレッドディザイアを降しエリザベス女王杯にも来日したアーヴェイ(Ave)もAnna Paolaに繋がる牝系である。その他にも重賞勝ち馬は少なくない。
改めてAnna Paola自身の血統に目を向けると、父Prince Ippi、その父Imperialというのが眼を引くところだろう。Prince Ippiは3歳でオイローパ賞に勝ち、古馬になってイタリア大賞(当時G1格、現在準重賞)を制した馬である。そしてその父Imperialはハンガリー馬で、25戦20勝、母国ではダービー、セントレジャーを制し、オーストリア、チェコ、旧東ドイツでもその強さを誇ったあと、西ドイツにも遠征、いくつか勝ち負けするも、ハンザ賞をレコードで制したことは、当時の西ドイツ人たちにも強い衝撃をもって受け止められた。Imperialはその後70年代前半、ハンガリーのリーディングサイヤーとして君臨している。このようなハンガリーの血を入れて成功させたのは実にレットゲン牧場らしい。レットゲンといえば、ハンガリーの歴史的名牝キンツェム(Kincsem)の牝系を、Wラインとして現在も引き継いでいる牧場として知る人ぞ知るところである。遡ればAnna Mondaにも、そういったレットゲンらしいハンガリーの血が注ぎ込まれているということだ。
さて、すっかりレットゲンの血統として話をしてきてしまったが、Anna Monda自身の生産牧場はブリュンマーホフ(Gestüt Brümmerhof)である。この牧場自体は1989年からサラブレッド生産を始めた若い牧場で、基本的にオーナーブリーダーとして自家生産馬を走らせるより、セリで売る方に力を入れている。しかしAnna Mondaの活躍から、オーナーブリーダーとしても重賞に顔をよく出すようになっている。サイトのトップも今もってAnna Mondaだし、この馬が牧場にとって大きな転機をもたらしたといえるのだろう。Anna Mondaの母Anna of Kievは上でも触れたとおり英国産で、祖母Anna Matrushkaのときにレットゲンが英国へ放出したようだ。Anna of Kievはブリュンマーホフ牧場が英国から購入、その血を再びドイツに戻したものである。しかしながら、Anna Monda以前にこれといった活躍馬を出さなかったため、彼女が1000ギニーを勝つ前年、タタソールスのセリに出され、5000ユーロでアゼルバイジャンへと売られてしまった。現在Anna of Kievの子は牧場に残っていないので、照哉さんが提示した金額に目が眩んで、牧場の基幹牝馬と成り得る馬を放出してしまったといえなくもない。もっともブリュンマーホフ牧場がMontjeuやGalileoをつけることが出来たかどうかは分からないが。
といった感じで、リリエンタール、アンナドンナの母Anna Mondaについて知ってること、ざっと調べてみたことをダラダラと書き連ねてみた。取り敢えずカタカナ表記の「アンナモンダ」ってのだけみて、「変な名前!m9(^Д^)」ってのはやめてね〜。
いつも有難う御座います!!