2010年08月11日

スボリッチ騎手引退

Starjockey Andreas Suborics kündigt Karriereende an

 短期免許で度々来日していたドイツのトップジョッキー、アンドレアス・スボリッチ騎手が8日ハノーファー競馬場で引退を表明した。彼は香港滞在中の4月に調教中の事故で頭部内出血の重傷を負い、今期はこれまで治療に専念していた。7月にGaloppOnline.deに載っていた記事では慎重な姿勢ながらも秋頃の復帰に向けリハビリに励んでいると語っていたのだが、頭部内という難しい個所の傷であるゆえに、最終的に医師から騎手復帰は危険すぎると言われ、引退を決断するに至ったということだ。

 スボリッチ騎手は1987年にウィーンでデビューし、生涯勝利数は1542。1971年ウィーン生まれで、国籍はオーストリア。スボリッチという姓は多分ハンガリー系で、遡ればハプスブルク帝国時代の隣国出身ということになるのかもしれない。実家は菓子屋。馬とは基本的に縁のない家庭の出身らしい。

 ウィーンから程なくドイツのミュンヘンへ移り徐々に頭角を現す。1995年には当時ドイツの2大厩舎の一角ブルーノ・シュッツ師の2番手騎手として競馬の中心地であるケルンへ移り、86勝を揚げる。それを見込まれ翌年レットゲン牧場の主戦騎手に抜擢されるが、シーズンスタートと同時に落馬骨折し秋まで戦線離脱を余儀なくされた。しかし9月に復帰するとA Magicmanでフォレ賞を勝ち、初のG1制覇を揚げる。その後はシールゲン厩舎でTiger Hill、ヴェーラー厩舎でSilvanoといった名馬に出会い、今世紀に入る段階でシュタルケと双璧をなすドイツのトップジョッキーとなった。Silvanoと世界転戦した2001年は、それまでの稼いだ賞金額を1年で稼ぐ活躍振りを示す。そして2003〜2005年にシュレンダーハーン牧場/ウルマン男爵の主戦騎手となり、2004年にShiroccoで念願のドイツ・ダービーを制した。シュレンダーハーンとの契約が切れた後は、あまり所属厩舎が安定せず大手馬主のいい馬に騎乗する機会が減ったため、絶頂期に比べると目立つ活躍も減ったが、しかしそのような少ない機会でも重賞では度々勝利を揚げて、ここぞというときの信頼感は確かであった。日本の短期免許滞在ではあまり目立った活躍はなかったが、2004年と2006年のWSJSで優勝し、日本の競馬ファンの印象にも残る騎手だったと思う。

 個人的にもズビ(ドイツでは皆からこの愛称で呼ばれていた)は最も思い出深い騎手だ。私の滞在中が彼の絶頂期だったというのもあるが、思い出してみると最初に自分の撮った写真にサインしてもらったのは彼だった(2003年1000ギニー)。その時にこんな真正面からの写真を撮らせてもらえたのも彼だからこそ(笑) 

suborics.jpg


 ズビはファンサービスをとても意識していて、重賞を勝利した時のウィニングランではいつもスタンドに向かって手を回し、観客を盛り上げていた。更にそれだけではなく、人気が低迷する競馬界の為に彼は少なからず一役買っている。例えばテレビの「この人の職業は何でしょう?」といったバラエティーショウに出演したり、もっと具体的に彼の生活を追ったドキュメンタリー番組にも出たりしている。

 更にとても印象深いものとして、数少ない競馬のテレビ放映の機会に、レースで騎乗しながら自ら実況するという企画にも挑戦しているのだ。当日の解説者だった元騎手ルッツ・メーダー氏は、このような騎手に無駄な負担を与える試みに対しあからさまに不満顔をしていたが、しかしズビ自身もそれが騎乗へのマイナスになることは百も承知の上で、視聴者への関心をより喚起させるための試みに自ら買って出ているのである。こんな企画は後にも先にもこれ一度きりだろう。貴重なものなのでYouTubeにもあげてみた。


(因みに準オープンクラスのこのレースを勝ったのは2004年カナディアン国際で2着になったSimonas)

 ズビは日本に幾度か来ていたため、競馬場で私を見かけるといつも「コンニチハ」と声をかけてくれ、勝利のあとに「おめでとう」と日本語で声をかければ、「アリガトウ」と答えてくれた。さすがに観戦エリア内でそれ以上の会話は普段は殆どしなかったが、ある日メインレースが終わって駐車場エリアから真横に見られるケルンの2400mスタート地点に行ったら、そのあとのレースのスタート前の輪乗りをしていたズビが、「来週はクレーフェルト(競馬場)に来ますか?」と馬上から話しかけてきて二言三言会話を交わすという楽しい体験をさせてもらった。ほかにもミュンヘンへ日帰り遠征した際、帰りの飛行機が一緒になって乗り降りの際に話したりもした。その際私のサイトのアドレスをあげたのだが、まあ覗きに来てる様子はなかったかな(笑) それでも騎手とのちょっとした交流を楽しませてくれたのは、いつもズビだった。

 怪我で引退というのは誠に残念だ。年齢もまだ40前だし、まだまだベテランの腕を発揮できたはずだ。

自分はかつて目指した以上のものを騎手として達成できた。今は別の形で競馬に関わっていきたいと思っている。


 引退表明の際にはこう語ったそうだ。彼なら鞍から降りてもきっとドイツの競馬界に貢献する形で活躍してくれるだろう。まずはゆっくり傷を癒し、近く競馬場を元気に闊歩する姿を見せてほしい。

 ズビ、お疲れ様!
posted by 芝周志 at 02:23| Comment(2) | TrackBack(0) | ドイツ競馬
この記事へのコメント
彼の引退はKölner Stadt Anzeigerのスポーツ面でもかなり大きく報じられていました。KönigstigerでUnionに勝った日の写真とともに・・・。

客観的にはとうとうこの日が来てしまったという感じですが、内心はもっと複雑な、寂しい思いがありますね。
Posted by かずやん at 2010年08月13日 01:44
かずやん

レスが異常に遅くなってすみません…。なんかもう書いたつもりでいた…(苦笑)

KSTAでもちゃんと報じられてたんですね。あの新聞は一応競馬も報じてたし、大きく取り上げるべき話だったのでしょう。

ズビの引退は怪我であるだけに残念です。彼ならまたいい厩舎、いい馬主がつけばこれまで以上の活躍ができたのにと思います。

とはいえ、無理して先の人生を台無しにしてもらいたくはありませんし、彼の行動力と明るさなら、競馬界できっといい活躍をしてくれるでしょう。
Posted by 芝周志 at 2010年08月17日 22:52
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