1. 鮮烈のデビュー
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本節は旧ブログ「Nereide(2)」の書き直し。
■ レース展開詳細に関する参考文献
旧ブログの時は1936年度「ドイツ競馬アルバム年鑑」(Album des deutschen Rennsports)のネレイーデ特集から引用したが、その後ナチ時代のレーシングカレンダー(Deutsche Jahres-(Galopp) Chronik)を買い集めたお蔭で、公式記録としてのレース展開を確認できるようになった。ただ、ネレイーデ特集の方がその文章の性格上、ドラマチックに活き活きとレースや競馬場の様子を描写しているので、本稿では公式記録をベースとしつつ、ネレイーデ特集で補完するような形で書いた。
■ ホッペガルテン2歳三冠レース
・ズィーアシュトルプフ・レネン(Sierstorpff-Rennen, 1000m)
・オッペンハイム・レネン(Oppenheim-Rennen, 1200m)
・ヘルツォーク・フォン・ラティボア・レネン(Herzog von Ratibor-Rennen, 1400m)
この表現は1936年ネレイーデ特集にあったもので、当時はこの三冠にある程度の高い格があったようだ。伝統面ではバーデンのツークンフツ・レネン(Zukunfts-Rennen, 1200m)も別格の地位にあったため、ネレイーデはこれら全てを押さえたことになる。現在2歳チャンピオン決定戦とされているヴィンターファヴォリート賞(Preis der Winterfavoriten, 1600m)も、一応当時からそれなりに有力馬を集めていたが、如何せん開催地がケルンであったため、ホッペガルテン中心だったこの時代は上述のレースほど重視されておらず、現在の地位を確立したのは戦後に競馬の中心がケルンへ移ってからになる。尚、ホッペガルテン2歳三冠は、それぞれ開催地を変えて現在も残っているが、「三冠」という括りでは最早扱われていない。ズィーアシュトルプフ・レネンについては、1986年にハンブルガー・クリテリウム(Hamburger Criterium)と統一され、現在は両レースの伝統を引き継ぐ形で残っている。