ネレイーデ物語〜Geschichte einer Wunderstute - Nereide〜
旧ブログ、しかも2005年11月を最後に未完のまま放置していたドイツの名牝ネレイーデ(Nereide)のストーリーを、全面的に書き直して再スタートします。既に校了しておりますので、今度は中断しません。ご安心くださいませ。全部で約2万字、(古い人間なので換算しないと自分の中でイメージつけられないのですが…)大体原稿用紙50枚程度になってしまったので、連載形式で各節数日置きにアップしていきます。
本編を始める前にまず4年前の言い訳をしますと、ダービーまでは手元のドイツ語資料を読んでそのまま勢いで書けたのですが、ブラウネス・バントのフランス馬コリーダとの対決になって、そもそもコリーダのことをきちんと調べてなかったせいで一旦頓挫しちゃったのです。で、手元のドイツ語ではイマイチ情報が足りなかったし、フランス語は読めないし、日本語、英語でもこの馬の全体像が見えてくるものがすぐに見つからなかったので、するすると執筆意欲が萎んで放置プレイとなってしまいました。その後半年に1度くらいむくっと「書かねば!」という気持ちがもたげるのですが、それまで勢いで書いた部分にも間違いや誤解を招きかねない点、表現が気に入らないところなどが出てきて、また最初から調べ直したりしてると、また色々気になりだして頓挫というのを繰り返し、なんとまあ4年も経ってしまったわけです。嗚呼…orz
ただ今回蔵出しする文章については既に3ヶ月ほど前に仕上がってたし、これだけの内容だったら多分もっと前にも書き上げることは出来ていたと思います。前回エントリーでちらりと触れましたが、実はもう一つまとめておきたい話があって、それと合わせて完成という思いだったので、それが書けなかったのがこれまで引きずってしまった一番の理由になります。当初「エピローグ」として、途中から「補論」として書いては消してを何度か試行し、結局一旦諦めたテーマについて、ここで本編を始める前に一応触れておこうと思います。それによって、単なる名馬列伝という視点を相対化し、ドイツ競馬という観点をも一旦リセットしてもらいたいからです。
そのテーマとは、この物語の種本の一つなる『パティエンスからネレイーデまで〜ドイツのサラブレッド生産30年の興隆〜』"Von Patience zu Nereide - Drei Jahrzehnte des Aufstieges der deutschen Vollblutzucht"(1937年)の著者リヒャルト・シュテルンフェルトが、何故ネレイーデを機にこの本(初出はSport-Welt紙上の連載)を執筆したのか、ということです。これだけだと、この人物を知らない人にはどうでもよく思えるかもしれませんが、しかしこの著書がネレイーデの名声を確固たるものにすることへ一役買ったことは確かであり、またそれ以上にドイツ競馬の発展史を長期的視野で見ていくための一つの軸を作った点でも重要な一書になります。この続編となる書も、1963年、2003年に世代を超えるスパンで出版されています。
しかし私の関心は、この書が後に与えた影響よりも、まずは飽くまでこの人物自身が何故この書をこのとき書いたのか、或いは書かずにはいられなかったのかということです。「書かずにはいられなかった」とは些か主観的解釈になりますが、しかしその捉え方は多分間違いではないでしょう。最初にこの書を読んだときから、文章にある種のパッションを感じていました。そして戦後ハラルド・ルドルフィによる続編『アーベントフリーデンからバーリムまで』"Von Abendfrieden zu Baalim"(1963年)の冒頭に書かれたシュテルンフェルトに関する短い逸話を読んだとき、私にとってこの人物への関心が拭い難いものとなりました。長年Sport-Welt紙上他においてドイツ競馬ジャーナリズムの一線にいたシュテルンフェルトは、ルドルフィによると、この書を最後に筆を置き、そして戦時中ナチの犠牲者となってその人生を閉じたとされているのです。如何なる理由でナチの犠牲になったのかは書かれていません。戦後の出版物もかなり目を通しましたが、残念ながら彼の人物像と死の原因を語るものは見つけられませんでした。彼個人について分かっていることは、博士号を持つ馬学者であったこと、そして本編でも触れるとおり、ネレイーデを産んだエーレンホフ牧場の創設者モーリッツ・I・オッペンハイマーの顧問(Berater)を務めていたということです。オッペンハイマーはユダヤ人で、ネレイーデの活躍を見ることなくナチによりこの世から消されます。即ちシュテルンフェルトの書は、実はオッペンハイマーに奉げる哀悼の意も込められていたのではないかと思うのです。そして彼自身も何かの理由でナチの目につけられ、或いはナチに従うことを拒み、命を奪われたわけです。
ただ一方で、彼はドイツのサラブレッド生産という視点に拘っていました。
ドイツの生産者が自らの課題の大いなる道筋をその目から見失わない限り、全てのことは決定的な意味を持つものではない。これまでなかった何か、今日我々の魂の目の前にある何かを成すこと、それに値することとは、ドイツのサラブレッドである。(強調原文より)
拙訳で恐縮ですが、これは『パティエンスからネレイーデまで』の最後に書かれている言葉です。この書は一貫してドイツ内国産の発展史を各年毎に論じたものであり、ネレイーデを一つの到達点として描いているのですが、しかし当然これが終わりではなく、更なる発展を追及するためにドイツのサラブレッド生産という視点を強く持ち続けていかなければいけないということを強調しているわけです(そもそもネレイーデは母がイタリアからの輸入馬で、およそ純ドイツ血統といえる馬ではない)。彼の最初の理論書と思われる『ドイツのサラブレッド生産』"Deutsche Vollblutzucht"(1917年)という論文にも目を通しました。このときから彼の競馬に対する姿勢は一貫しています。シュテルンフェルトは紛れもなくドイツに対する強いアイデンティティを持ったナショナリストでした。
そこで大きな課題が持ち上がります。即ち、そもそも「ドイツ」とは何かということです。私は曲がりながらもかつてドイツ史を専門として勉強していた者ですから、このテーマにはドイツ競馬に取り組む以前から一応少なからず係わってきました。「ドイツ」とは何かを理解していくには、まず今頭の中にある「ドイツ」の既成概念やイメージを解体する必要があります。上で「ドイツ競馬という観点をも一旦リセットしてもらいたい」と書いたのはそういうことです。少なくともドイツ近代競馬発祥年とされる1822年には「ドイツ」という国は存在しなかったことくらいは、基本知識として押さえておく必要があるでしょう。ただこの課題に正面から取り組むと、最早「ドイツの競馬史」ではなく、「競馬を通じたドイツ史」を書かざるえなくなってきます。これはもうサイトのコンテンツレベルでは収まりません。
更にこの課題の一つの軸として、「ドイツ地域におけるユダヤ人」というのも外せなくなります。エーレンホフ創始者のオッペンハイマーのみならず、シュレンダーハーン牧場オーナーのオッペンハイム家、名繁殖牝馬フェスタ(Festa)によってドイツ馬産に多大な影響を与えたヴァルトフリート牧場の創設者ヴァインベルク兄弟も、キリスト教への改宗者とはいえ元はユダヤ家系に属します。現代に残るドイツ血統の礎はユダヤ系の馬産家によって築かれたと言っても過言ではありません。そして、ドイツのサラブレッド生産という観点で内国産馬の向上に尽力したという意味では、彼らもまたシュテルンフェルトと同じなのです。実は先月、約500ページに渡るシュレンダーハーン牧場史が出版され、早速ドイツのAmazonで取り寄せ気になる箇所を読んでみたのです。私はこれまで、オッペンハイム家はナチ時代末期に亡命していたと思っていたのですが、それは勘違いで、先頃亡くなったカリンさんら家族は、実は『アンネの日記』同様、ケルンの知人宅の屋根裏に終戦まで1年余り息を潜めて隠れていたのだと知りました。またヴァインベルク兄弟の兄アーターは、ナチに捕えられ強制収容所で死んでいます(殺される前に衰弱死)。しかし彼らがユダヤ人としてナチの迫害を受けたことと、ドイツのサラブレッド生産を通じたナショナルな帰属意識は矛盾しません。ただこの無矛盾性をきちんと論じるには、私自身がドイツのユダヤ人について勉強不足であることを認めざるをえません。
私たちは、ドイツのサラブレッド生産及び競馬の歴史にとって、一つのマイルストーンとなった年を終えようとしている。
これは『パティエンスからネレイーデまで』の冒頭の言葉です。シュテルンフェルト自身がユダヤ人馬産家たちと共に築いてきた「ドイツのサラブレッド生産及び競馬の歴史」において、ナチ最盛期の1936年に「一つのマイルストーン」となったネレイーデの活躍の意義とは何か、それを語らないままではネレイーデ物語は中途半端といわざるをえません。しかしこれをこなす為には一冊の本を書くくらいの力量が必要なのです。ですが残念ながら今の私にそれだけの力はありません。今後もこのテーマで上梓できる保証はありません。ただ個人的課題としては残していくつもりなので、今後のブログエントリーで断片的に触れていくことはあるでしょう。
もっとも、一応書きあがっているネレイーデ自身の生涯を眠らせておくのはもったいないので、結果「中途半端」と明言した上でこの度蔵出しすることにしたわけです。断念したテーマについても常に意識しながら書いてはいたので、読んでくださる方にもその辺を頭の隅に置いておいてくださればと思います。
最初に触れたとおり、各節毎に連載形式で順次アップしていきます。その際「はしがき」としてこのブログ上に、註というか補足や旧ブログ上での間違いの訂正箇所などをアップします。各節に関するご意見、ご質問、ツッコミ等がある場合は、それぞれの「はしがき」のコメント欄に書き込んでいただければ幸甚です。