PV数が普段1日10前後という殆ど誰にも知られていないし関心ももたれていないニッチな当ブログに今週は毎日20PV程付いていてちょっぴりニマニマしている管理人の芝周志ですこんばんは。
要因は先日フランスのディアヌ賞(仏オークス)を勝ったスタセリータ(Stacelita)にあるようで、「ドイツ Sライン」乃至、これを含む検索キーワードで、先日書いた「ブエナビスタの祖−シュヴァルツゴルトとシュレンダーハーンのSライン」に皆さんいらっしゃるのである。この馬は生産も調教もフランスではあるが、血統は父母ともに思い切りドイツで、牝系はまさにシュレンダーハーン牧場のSラインである。ディアヌは2番手から直線持ったままで抜け出す4馬身差の楽勝で、無敗の5連勝。ブエナビスタとは全く違うタイプだが、日欧に登場した傑出した牝馬がともにSライン牝系ということで合田さんも取り上げていることから、Googleでの検索率がちょっと高まっている様子だ。
まあそれでもうちは所詮デイリー20PV程度なのだから、何の影響力も持ってはいないのだけど、一応記事ではシュヴァルツゴルトについて他では書かれていないことも書いたつもりだし、少しでも多くの人に読んでもらえれば嬉しい。特にナチによるブラウネス・バントの出走妨害については、多分これまで日本語では未出だろう。この事件の背景に関し更に掘り下げられるかは私の手元資料の範囲では難しいが、この時代のオッペンハイム家が置かれていた状況から憶測できるものがあるかもしれない。ドイツということで、独自牝系に拘った系統繁殖の馬産伝統とナチの優生政策を安易に結び付けたがる話はこれまでにもチラホラ見かけてはいるが、ユダヤ系のオッペンハイム家やエーレンホフ牧場の創設者オッペンハイマーの悲劇、ナチのフランス馬略奪とは距離を置き戦中もフランス馬産界との良好な関係維持に心砕いた伝統的ドイツ馬産界など(その一端は旧ブログのこの辺で触れた)、ドイツの馬産史をナチに対する視点と同一に語ることはできない(というか、そもそも優良血統を洗練させていくことはサラブレッドの定義そのもので、これがナチなら競馬好きは全員ハイル・ヒトラーと叫ぶべきだ)。
ところで話はまた別の方向へずれるが、スタセリータの母Soigneeはウルマン氏の生産馬であり、セリで高額で落札されてウルマンの手は離れたが、現役時代はドイツで走っていた。2歳時の秋バーデンで準重賞クロニムス・レネンを圧勝したときには、この世代の牝馬はこの馬中心に回るものと思われた。しかしその後フランスのPrix des Reservoirs(Gr.II)で2着と健闘したものの、3歳になってからはこれといった結果を残せず、残念ながら早熟イメージで終わってしまった。とはいえ、現役時代に少しは期待をかけた馬の仔がこうして活躍してくれると格別嬉しいものだ。因みにSoigneeのことを合田さんは上に紹介した記事で「ソワニエ」と書いているが、現役当時ドイツの実況チャップマン氏は「ソンニェー」と叫んでいたので、私の頭にもそれでインプットされていた。最初にスタセリータの母の名を見たのが合田さんの記事だったら、Soigneeのこととは気付かなかっただろう。で、ここは自分の庭なので、強引に私の耳に残っている「ソンニェー」でカタカナ書きさせてもらう。
今やフランスにいるソンニェーは、一応ドイツ伝統のSライン継承者ではあるが、血統図をよく見ると母はフランス生産馬になっており、祖母、曾祖母も英国生まれでドイツではない。ここで思い出されたのが80年代後半に『優駿』誌上に連載された山野浩一氏の連載「血統理念のルネッサンス」だ。そのPart II「ドイツ競馬の現在」(手元にあるのがコピーで、何年何月号かメモってませんでした。すみません。)に取り上げられているシュレンダーハーン牧場の記事では、落日の時にある牧場は繁殖牝馬を売らなければ経営を維持できない状況にあり、Sラインも多く流出されてしまったことが書かれている。当時晩年を迎えていた牧場長マイヤー・ツゥ・デューテ(Meyer zu Düte)にインタビューした山野氏は、馬産において重要な三つのGを彼から教えてもらった。金(Geld)、忍耐(Geduld)、幸運(Glück)である。山野氏はその中で忍耐(Geduld)こそがドイツらしさと捉え、それまでの牧場の成功に大きな役割を果たしてきたと解釈している。だがその当時の牧場の姿は、山野氏の目には最早その忍耐すら尽き果てる間近と映ったようで、この項の最後を「シュレンダーハンは一世紀の驚異的な輝きの後に今眠りに就こうとしている。」という言葉で締めている。だが幾多の苦難を乗り越えてきたシュレンダーハーン牧場とオッペンハイム家の「忍耐」は、当時の山野氏の見立てほど柔なものではなかった。この記事から間もない88年1月に、夫の早世後30年以上牧場オーナーを務めてきたガブリエレ・フォン・オッペンハイム(Gabrielle von Oppenheim)夫人が87歳で亡くなり、娘カリン・フォン・ウルマン(Karin von Ullmann)氏がその職務を引き継いだ。そしてカリンさんがウルマン名義で持っていた黄青の勝負服を息子ゲオルク(Georg von Ullmann)が引き継ぎ、母子で牧場再興に向け尽力したのである。ソンニェーの母Suivezはこの再興の時に当たって、流出されたSラインとしてゲオルクが取り戻したのであろう。牧場に残るSuivezの牝馬にはSuiviがおり、その産駒が今ドイツダービー最有力として注目を浴びているSuestadoである。即ちSラインには今年更にまた大きなところを取れそうな馬が控えているのだ。しかもバヴァリアン・クラシックを勝ったダービー候補SaphirもSラインである。
何だかえらくシュレンダーハーンに肩入れした記事ばかり書いてしまっているが、普段ドイツ競馬を見ているときは特別シュレンダーハーン贔屓というわけではないんだよ(はてなのアイコンはヘニーホフ牧場だし・笑)。ただ一つの一族だけでこれだけ長い歴史と伝統を担ってきた牧場は他にないわけで、歴史的な話になると史料的にもシュレンダーハーンに優るものはなく仕方がない。また今年はSラインばかりでなく、英国二冠馬となったシーザスターズ(Sea the Stars)もシュレンダーハーン伝統のAラインの血を引いており、また先だってオーナーのカリンさんが亡くなられたということもあって、どうしてもこの牧場に関心が引き寄せられてしまうのである。資料を引っ張り出して机の脇に積んだりしているので、しばらく折に触れてシュレンダーハーンの話になりそうだ。