2010年12月15日

「医師が青信号を出してくれた」― A.スボリッチ復帰インタビュー

 スボリッチ騎手が今年4月、香港滞在中に頭部内出血の重症を負い、復帰は危険という判断から8月に引退表明をしたことはこのブログでも触れた。日常生活には支障ないほどに回復していたので、9月初のバーデン開催では騎手たちへのインタヴュアーとして姿を見せ、競馬との第二の人生を模索し始めたかに見えた。しかし今月2日、医師からゴーサインが出、馬上にカムバックするというニュースが駆け巡った。そしてこの度GaloppOnline.deがスボリッチにインタビューした記事があがったので、拙訳を試みてみる。

Jockey Talk mit A. Suborics

GaloppOnline.de:退場からの退場……どういう経緯ですか?

スボリッチ:それは簡単な話です。私の回復が予想よりはるかに早く、医師が馬上への復帰に青信号を出してくれたのです。再び鞍に跨ると決断して以来、私自身とても満ち足りており、また誰もがそんな私を幸せにしようとしてくれるのです!

GaloppOnline.de:このような道へ勇気を持って踏み出すことが出来る、そして踏み出したいと思えるほど、この半年間で健康状態が劇的に変化したのですか?レース中に危険な状況になった際、恐怖を感じる可能性があるとは思いませんか?

スボリッチ:懸念は持ちたくないし、ありません。私を知っている人は誰もが、私を咎めることが出来ると分かっていますが、私は自分の仕事をこなす中で恐怖を感じたことは一度もありません。全てを受け入れ、バーデン・レーシング(註:バーデン競馬場主催組織)で新たな仕事を始めるという、より快適な人生は確実だったでしょう。しかしそうしてもう一度試してみるということをしなかったなら、一生後悔するだろうと思っただけなのです。レースで騎乗するということは、私にとって仕事だというだけでなく、情熱でもあるのです。

GaloppOnline.de:騎手アンドレアス・スボリッチは、事故と休養との後もベストだった頃と同じように再び乗れると確信してるわけですね?

スボリッチ:まあ、多分ベストな状態はもう一度来るでしょう。今回の事故はそれほど酷いものではなく、出血した後も2週間騎乗してたんですよ。その時のほうが今より間違いなく危険でしたが、あなたは私の頭が弾けてしまっていたと思うでしょうけど、私は自分のレースは全て乗ったし、馬主や調教師たちからも満足を得ていたんです。

GaloppOnline.de:馬にどうしても乗りたいという気持ちに指先をくすぐられ、拙速に決断してしまったという懸念はありませんか?

スボリッチ:この決断を下すまでには十分時間があったし、しっかり考えました。また私は自分自身以外誰に対しても釈明するようなものは負ってませんし、今は清々しい気持ちで、再び馬に乗りたいのです。

GaloppOnline.de:いつからまたレースに乗りたいと考えてますか?

スボリッチ:出来るだけ早く。しかし自分の調子がちゃんとフィットしたタイミングによります。

GaloppOnline.de:いつから朝の調教には参加し、またどこで乗ることになりますか?

スボリッチ:既にヴァルデマール・ヒクスト調教師のところで最初の騎乗はしました。

GaloppOnline.de:事故、及び引退表明以前はヴァルデマール・ヒクスト厩舎の専属騎手として契約してましたが、来年もヒクスト厩舎の一番手騎手になる予定ですか?

スボリッチ:それはヴァルデマール・ヒクストがご自身で決めるでしょう。私の側からはっきりしているのは、彼が私にとってドイツ国内での最初の伝だということですが、しかしまだその件については時間があります。

GaloppOnline.de:あなたが抜けた後、ヒクスト厩舎ではアレクサンダー・ピーチ騎手が大きなチャンスを得、その期待に大きく応えました。ピーチ騎手との関係はどうなりますか?厩舎内でのあなたの役割は?

スボリッチ:ヒクスト厩舎での今後のアレックス(註:ピーチ騎手)の役割については、私が決めることではありません。私たちは仲間として一般的に普通に接するだけです。

GaloppOnline.de:馬に乗っていなかった間、一番気に入っていたことは何ですか?

スボリッチ:馬に乗ることです(笑)

GaloppOnline.de:今年あなたはバーデン・レーシングで活動してました。ドイツで一番の競馬場のための活動を2011年も続けるのですか?

スボリッチ:予定されていた活動は、もちろん引き受けられません。しかしこの過程で、アンドレアス・ヤコブス、パウル・フォン・シューベルト、ラールス・ヴィルヘルム・バウムガルテン、セバスティアン・ヴァイスの各氏には、そのチャンスと信頼に心から感謝したいです。今後もバーデン・レーシングとは良い関係を保っていくつもりですし、何かしらの形で素晴らしく進行中のプロジェクトを支援していきたいです(註:バーデン競馬場は運営団体が今年破産申請し、バーデン・レーシングはその後進組織として競馬場の再興を図っている)。

GaloppOnline.de:所謂「休暇中」には他に何かしていましたか?エージェントになろうとかはしていませんでしたか?

スボリッチ:それ(エージェントの試み)は全くしていませんでした。現況においてそれはとてもきつい仕事ですし。

GaloppOnline.de:調教師になろうと考えたことは?

スボリッチ:その考えはありません、全く。

GaloppOnline.de:これまで国外でも多く騎乗していましたが、今後もまた国外で乗ろうという考えはありますか?

スボリッチ:はい、それはあります(英語で笑いながら)。おふざけは置いといて。もちろん、また国外で乗ろうという考えはあります。特に香港時代はいつも楽しかった。そしていつか再びアジアで騎手免許を取ることは間違いなく一つの目標です。

GaloppOnline.de:では、馬自体について一言。2010年で特に印象に残ったレースはどれですか?

スボリッチ:オイローパ賞でのScaloの勝利はとても印象に残っています。ZazouもG1を勝てるようなとても良い馬ですよ。あとはバーデン・バーデンのNight Magicですね。この牝馬には非常に期待してましたから、私も殆ど泣き叫んでましたよ。

GaloppOnline.de:では、2歳馬ではどうですか?2011年ドイツ・ダービーに向けてノートにメモしておくべき馬は?5頭挙げるとどれでしょう?

スボリッチ:2歳馬でまず挙げられるのはSundreamですね。彼はとてもしっかりした勝ち方をしており、2歳馬の中では既に抜けていますね。ダービーの熱い本命で、私の中では現在1番です。その次にヴィンターファヴォリート賞のSilvanerが挙げられるでしょう。彼はまだミスをしていません。間違いなく2400m馬と言えるのは、ラティボア・レネンの1、2着であるGereonとLe Peintreですね。ヴァルデマール・ヒクスト厩舎にはダービー向きのまだデビューしてない馬が何頭かいますが。こういうのはいつでもワクワクしますね!
posted by 芝周志 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ競馬

2010年12月12日

リリエンタールとアンナドンナの母Anna Mondaとその牝系

 昨年の今頃ドイツ産母を持つミッションモードエイシンフラッシュについて取り上げていたので、今年もこの辺で1頭書いてみたいと思う。取り上げるのは、既に準オープンクラスで菊花賞にも出走したリリエンタールと11月府中最終日曜日に2000m新馬戦をデビュー勝ちしたアンナドンナの母アンナモンダ(Anna Monda)である。リリエンタールがそこそこ走ってるのだからさっさと取り上げていてもよかったのだが、単に間を逸したのとサボってたということで…。

 2002年生まれで2004〜05年に現役として活躍したAnna Mondaは、私自身も生でしっかり見てきた馬だ。2歳10月のデビュー戦では逃げてゴール直前に1番人気の牡馬Le Kingに交わされて2着であったが、3着がその11馬身後ろなのだから、この時点で抜けた牝馬であることは予想できる。そして3歳明け初戦の4月1200m未勝利戦ではスピードの違いを見せつけて2着Molly Artに7馬身差の圧勝で初勝利を得た。

 Monsun産駒というと、基本的にスタミナがあって重厚なチャンピオンディスタンスホースというイメージが強いが、このAnna Mondaの走りにはそういった重戦車のようなイメージはなく、スプリンターだった母父Salseの影響力が強いのかスピード能力の違いで押し切るタイプだ。それでも飛ばすだけ飛ばすというのではなく、テンの速さで先頭に立つと、中盤で淀みないペースながらもうまく息を入れ、直線でもう一度突き放すといった感じなので、その辺にMonsunのスタミナが活きているのだろう。

05Henkel-Rennen Anna Monda.jpg さて迎えたヘンケル・レネン(独1000ギニー・G2)でもその能力は如何なく発揮され、早々に先頭に立つとAnna Mondaに食いついてこられたのはQuadrupaだけで、そのQuadrupaも直線の坂で突き放されて4馬身差の2着、その後ろは8馬身離されるという引きちぎりっぷりだ。馬場は6.1の不良だったため、タイムこそ日本の1800m並だが、映像を見る限り決してダラダラしたレースではない。因みにこの時敗れた馬の中にはStacelitaの母Soigneeもいる。

 これだけ強いレースをすれば国内に留まる理由もなく、まずはフランスのG2サンドリンガム賞に挑戦する。しかしここでも逃げたものの、残り200mで完全に脚が上がり、一気に馬群に飲み込まれて7着。続いてグッドウッドのG3オークツリーSに出走したが、ここも7着に敗れた。印象としては早熟で、早々に能力を使い果たしたかに思われたが、一息入れてドイツ国内のオイローパ・マイレ(G2)に出走すると、再び1000ギニーを彷彿とさせる逃走劇を演じ、見事な復活を見せる。もっともこのレースではドイツ・マイル界を背負ってきた1頭Eagle Riseが直線で骨折転倒という悲しい出来事があり、そのライバルであったMartilloも友を思ってかその直後に脚が止まってしまい、勝ったAnna Mondaには申し訳ないが、その場にいた私には彼女のことを称える余裕がなかったことを覚えている。

 ところで私は個人的にMartilloをデビューから応援していたこともあり、彼がミラノのマイルG1、ヴィットーリオ・ディ・カプア賞に出ることになったので、私もミラノへ向かうことにした。尚、まったくの余談になるが、私は当日朝7:05発の飛行機に乗る予定だったのに、目が覚めたのが6:20で、青ざめながら荷物を掴んで家を飛び出し、タクシーを捕まえ、6:30に空港に着いてチェックイン、なんとか飛行機に乗り込んだのである。家から空港までバスで15分という立地条件だからこそ出来たことではあるが、フライト時間の45分前に起床して間に合うもんなんだなと、我ながらえらく感心したものだ。

 話を戻そう。オイローパ・マイレを快勝したAnna Mondaもミラノに向かうことになった。ただこの間に社台の照哉さんに買われ、主戦のムンドリーは黒黄のストライプ勝負服でレースに臨んだ。Anna Mondaはこれまで同様に先頭に立つと800mある長い直線の途中まで淡々とペースを刻み、残り300mを切ったあたりから仕掛け、内から追い込みをかけるMartilloを1馬身3/4差に押さえこんでG1のタイトルを手に入れたのである。個人的にはMartilloが敗れて悔しかったので、なんとなくAnna Mondaに対しては素直に賞賛できる記憶を持っていないのだが、しかし勝った内容はどれも文句をつけようがなく、彼女のスピードと最後まで潰れないスタミナは高く評価されて然るべきものだろう。

 以上がAnna Mondaの現役時代であるが、彼女の牝系ラインについても少し眺めてみよう。
上でも貼ったが、もう一度Pedigreequery.comの5代血統表をば。

 Anna Monda
 
 母Anna of Kiev、祖母Anna Matrushkaは英国産となっているが、そのまた前に遡るとしばらくドイツ産が続く。この牝系はレットゲン牧場に培われてきたAラインで、ドイツでの始祖はイタリアから輸入されたAdria。導入時の逸話でもないかと手元の資料をガサゴソ探してみたが、残念ながらこの馬に触れた記事は見つからなかった。6歳上の全姉Alenaが伊オークスを、2つ下の半妹Archidamiaが伊1000ギニーを制していることから、イタリアの良血ということになるのだろう。1930年代はフェデリコ・テシオ全盛期でもあり、イタリアから新たな血を導入するのは珍しいことではない。

 だがこのAdriaから何代かは目立った活躍馬もなく、この血統を大きく発展させたのは、Anna Mondaから4代母Antwerpenとその娘Anna Paolaになる。Antwerpenの子では牡馬のAsprosとAnna Paolaが2歳チャンピオン戦ヴィンターファヴォリート賞を兄妹制覇しており、Asprosは3歳時に独2000ギニーを2着、Anna Paolaはディアナ賞(独オークス)を制する活躍をしている。Anna Paolaの全妹A Prioriの孫にはE.P.Taylor S(加G1)を勝ったFräuleinがおり、また父にStar Appealを持つAnständigeの孫にはヴィンターファヴォリート賞とウニオン・レネン、古馬になって複数のマイル重賞を勝ったAspectusがいるなど、Antwerpenの血はAnna Paola以外を通じても現在まで豊かな広がりを持って受け継がれている。

 しかし最も優れた後継牝馬は、やはりAnna Paolaであろう。自身の直子こそ目立った活躍馬はいないが、孫の代では日本人にも馴染みのある名前が現れる。96年に来日して毎日王冠を制し、その2年後にも鳴尾記念で3着になったアヌスミラビリス(Annus Mirabilis)だ。また先ごろアメリカのフラワーボール国際Sでレッドディザイアを降しエリザベス女王杯にも来日したアーヴェイ(Ave)もAnna Paolaに繋がる牝系である。その他にも重賞勝ち馬は少なくない。

 改めてAnna Paola自身の血統に目を向けると、父Prince Ippi、その父Imperialというのが眼を引くところだろう。Prince Ippiは3歳でオイローパ賞に勝ち、古馬になってイタリア大賞(当時G1格、現在準重賞)を制した馬である。そしてその父Imperialはハンガリー馬で、25戦20勝、母国ではダービー、セントレジャーを制し、オーストリア、チェコ、旧東ドイツでもその強さを誇ったあと、西ドイツにも遠征、いくつか勝ち負けするも、ハンザ賞をレコードで制したことは、当時の西ドイツ人たちにも強い衝撃をもって受け止められた。Imperialはその後70年代前半、ハンガリーのリーディングサイヤーとして君臨している。このようなハンガリーの血を入れて成功させたのは実にレットゲン牧場らしい。レットゲンといえば、ハンガリーの歴史的名牝キンツェム(Kincsem)の牝系を、Wラインとして現在も引き継いでいる牧場として知る人ぞ知るところである。遡ればAnna Mondaにも、そういったレットゲンらしいハンガリーの血が注ぎ込まれているということだ。

 さて、すっかりレットゲンの血統として話をしてきてしまったが、Anna Monda自身の生産牧場はブリュンマーホフ(Gestüt Brümmerhof)である。この牧場自体は1989年からサラブレッド生産を始めた若い牧場で、基本的にオーナーブリーダーとして自家生産馬を走らせるより、セリで売る方に力を入れている。しかしAnna Mondaの活躍から、オーナーブリーダーとしても重賞に顔をよく出すようになっている。サイトのトップも今もってAnna Mondaだし、この馬が牧場にとって大きな転機をもたらしたといえるのだろう。Anna Mondaの母Anna of Kievは上でも触れたとおり英国産で、祖母Anna Matrushkaのときにレットゲンが英国へ放出したようだ。Anna of Kievはブリュンマーホフ牧場が英国から購入、その血を再びドイツに戻したものである。しかしながら、Anna Monda以前にこれといった活躍馬を出さなかったため、彼女が1000ギニーを勝つ前年、タタソールスのセリに出され、5000ユーロでアゼルバイジャンへと売られてしまった。現在Anna of Kievの子は牧場に残っていないので、照哉さんが提示した金額に目が眩んで、牧場の基幹牝馬と成り得る馬を放出してしまったといえなくもない。もっともブリュンマーホフ牧場がMontjeuやGalileoをつけることが出来たかどうかは分からないが。

 といった感じで、リリエンタール、アンナドンナの母Anna Mondaについて知ってること、ざっと調べてみたことをダラダラと書き連ねてみた。取り敢えずカタカナ表記の「アンナモンダ」ってのだけみて、「変な名前!m9(^Д^)」ってのはやめてね〜。
posted by 芝周志 at 23:08| Comment(1) | TrackBack(0) | ドイツ競馬